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バリ島に移住してショップ経営 『仮想妄想バリ島移住計画』 by 生島尚美さん(前半)

バリ島に移住したい!……と思ったほとんどの人は、今ならまずネットでいろいろな情報を探しまくるはず。

でも、インターネット上にバリ島の情報がそれほど多くない時代から、バリでの暮らしを始めた先達がいます。
ネット情報も重要ですが、そういった方々のナマの経験談に接するのは何よりの刺激です。

先般、そんなお一人である生島尚美さん(sisi ディレクター)のお話を伺う機会がありました。(お話会『仮想妄想バリ島移住計画』)

東京や大阪、ジャカルタなどで年に数回、ご自身でデザイン&プロデュースされた“Made in Bali”のバッグの展示販売会を催されており、会場には現地でのご友人で帰国されている方など多くの方がつめかけていました。

いゃ〜、それにしても濃ゆい!

さすがに大阪出身、マシンガントークで面白おかしく繰り広げられる人生は山あり谷ありでグイグイ引き込まれます。
1時間半ほどの内容は、それだけで一冊の本になりそうな勢いなのですが、ここではそのごく一部をまとめて掲載させていただくことになりました(多謝!)。

死ぬかバリか!

それまで旅行で何度かバリ島を訪れていた生島さんが、移住を決意してバリに渡ったのが1999年。

その前にきっかけとなった、ある“衝撃的で理不尽な出来事”が起こる。

なんと、婚約者(料亭の跡取り息子)が突如として婚約を破棄してキャバレーのブラジル人女性と駆け落ちしてしまったというのです。前後して、とてもやりがいのあった職場でハラスメントを受けた上に一方的に解雇。

みるからに陽性な生島さんですが、その当時は激しい目まいや偏頭痛など自律神経失調症や鬱の症状が出るほど精神的に追い込まれ、「このまま死んでしまうのでは」という思いが頭をかすめたとのこと。

その失意の日々の中で浮かんできたのが、かつてのバリ旅行で強く感じた「キラキラした何か」でした。
その時の「あ〜、そういえば“ここに住めたらな〜”と思ったんだっけ」という非現実的な願いが、どん底の気持ちの中に、妙にリアルに立ち上がってきたといいます。

「死ぬかバリか」なら絶対バリ!……と一念発起。1年間で100万円貯めることを決意してクラブのホステス(この時のお話も滅茶オモロイ、けど割愛)や飲食店をかけもちし、一日12〜14時間働いた。

因みに、当時は200万円あればバリに家が立てられた時代だったそうで、食費は地元の食堂では一食20〜30円!(最近はその5倍くらいになっているそうですが、それでもまだまだ安いですね)

憧れのバリはひと月で飽きた

100万円持って飛びこんだバリで、はじめは一泊200円くらいの安宿(というかホームステイ?)に泊まって毎日自然を満喫。晴れたら散歩、雨が降ってもいい感じ、眠たくなったらすぐ寝るという憧れのまったりしたバリ生活。

「でも、そんなのはひと月で飽きます」ときっぱり。それに宿泊費や食費が安いといっても確実に手持ち資金は減っていく。

もともと働き者の生島さんのこと、何もしない/何も生み出さない/誰にも必要とされていないストレスから「何かやらなきゃ」と思い始めた矢先に、宿泊先の家主から「軒先の狭いスペースを人に貸したいんだけど……」という話が。

それまではどこか勤め先を探そうとも考えていたそうですが、ふと「ここで店をやってもいいんちゃうかな」と思ったそうです。何の店かも決めてませんでしたが……。そんなふうにして始まったのが“sisi”の第1号店でした。

でも、そこはウブドの中心から離れている上に、幹線道路からも4本入った、まったく目立たない場所。

今でこそどんな僻地でも、インスタグラムやフェイスブック、ツイッターで知りました〜という人が、スマホ片手に来てくれる時代ですが、当時は店の前を歩いているのは犬と鶏と上半身裸の地元のおっさんと子ども……。たまには外国人カップルなども通るけれど、明らかに有名な観光地「モンキーフォレスト」への道を間違えて迷い込んで来てる、という様子。

生島さんはそんな時代を経て、今ではお店の場所も移動して、オリジナルバッグのショップ以外にもお洒落なカフェやヨガスタジオなどを経営されています。

生島さんの日常のご様子はnoteで読むことができます。

(つづく)

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